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ものがたり

中通り

大多鬼丸

  • 嗚呼!絶景

人の心をつなぐ“鬼伝説”

昔話の悪者の定番、鬼。

実は福島にも、鬼がいたという伝説がある。

向かったのは、平安時代の『鬼の伝説』が息づく田村市。

出会った町の人たちも口々に鬼の噂を。

 

 

 

 

 

舞台は田村市。

案内してもらうのは、田村の歴史を30年以上研究してきた、専門家の逸見克己さん。

実は、田村市の市名の由来は、平安時代の征夷大将軍、坂上田村麻呂にあるとされている。

 

 

 

 

 

 

その田村麻呂が鬼と戦ったという伝説が、語り継がれているんだって。

戦いを描いた彫刻が、市内の神社に残されている。

田村麻呂は、朝廷に刃向かっていた鬼を退治しにこの地にやってきたらしい。

 

 

 

 

都から進軍してきた田村麻呂は、『大多鬼丸(おおたきまる)』という鬼と戦ったと伝わっている。

 

この伝説にまつわる場所は、田村市内になんと100箇所!

明石(あかし)神社。は、鬼を攻める戦略を練って一夜を明かした石があることから、明石神社という名前に。

 

 

 

 

町の中心部、『船引(ふねひき)』も、戦死者をお墓に運ぶため、棺をに載せていてきた川があることから、『船引』という地名に。

 

 

 

 

 

田村麻呂軍は、大滝根山の森にある洞窟に鬼たちを追い詰めた。

「煙でいぶりだして、捕まえて、大多鬼丸を成敗して、伝説としてはここで終末を向かえる。」

めでたしめでたし。

 

 

 

ところが、地元では、もう一つ別の説があるらしい。

向かったのは、大多鬼丸が埋葬されたとされる首塚。

そこにある銅像を見てみると・・・

 

 

 

 

角がない。

大多鬼丸は、この辺り一帯を治めていた人物。

戦いに負けたため、鬼として語り継がれてしまったという。

 

 

 

 

「大多鬼丸は、静かにこちらで暮らしていた。田村麻呂が攻めてきた。私たち、田村市に住んでいる人間からすれば、静かに暮らしていたところに向こうから攻めてきた。」

 

 

 

 

 

町の中には大多鬼丸の家来たちの銅像も。もちろん、鬼の姿ではない。

 

 

 

 

 

「これはですね、鬼五郎と幡五郎っていう、大多鬼丸の家来ですね。坂上田村麻呂と戦った、この辺で、いわばヒーローっていうのかな。」

 

鬼にされてしまった、英雄たちの“無念”を伝えるために始めたことがある。

『鬼五郎幡五郎太鼓(おにごろうはたごろうだいこ)』だ。

 

 

 

 

この太鼓を通じて、結婚したという2人にも出会った。

 

 

 

 

 

「外から太鼓を見ていたときに、妻がこの面を外したときに、一目惚れしました。それで追いかけて、太鼓を始めました。鬼五郎と幡五郎に私は感謝しています。」

 

昔話は、今も人の心をつないでいる。

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